「敵は己なり」
こう思って生きる事が自分の成長に大きく繋がるのでは、と最近強く感じています。
また、【悔いのない人生】を歩むためにも大切な意識であると考えます。
自分の行動を最終的に決めているのは全て「自分」。
その行動によって跳ね返ってくるもの「自分」。
見えないところで努力出来るかどうかも「自分」次第。
欲に負けるかどうかも「自分」次第。
誰も悪くない。
結果は全て「自分」が招いていることである。
自分に強くそう言い聞かせて生きています。
~敵は己だと感じる瞬間~
<それはフワッとした判断ではなく意志のある「決断」か>
野球(スポーツ)のプレー中の一瞬の「決断」
⇒試合中の重要な場面で勇気のいる方へ思い切るのか、思い切らないのか。
勇気のいる決断にはリスクがつきものです。
必ずしもうまく転ぶかはわからない。
その中で自分はどうするのか。
思い切れば良いというものでもないとも思います。
リスクがつきものであるということ、そしてなによりも他の人と違うことをやろうとすると人から怒られたり、失敗をすると悪く言われたりする事も多いです。
私は甲子園を優勝した2006年の夏、甲子園で思い切り過ぎた決断をして準々決勝(日大山形戦)で普通ではあり得ない「ミス」を一試合で二回しました。
結果的に勝ったため今では笑い話になっていますが、その自分のミスによって負ける可能性だって十分にありました。
それほど瞬間の「決断」にはリスクがつきものです。
そのうえで覚悟を持った決断が出来るかどうか、だと考えます。
仕事や人生における「決断」
私は、周囲の目線を気にすることも多いです。
周囲の目線が気になりながらも今尚自分の意志に忠実に従って生きている理由は、
結局やるのは「自分」だから
です。
話が少しそれますが、 最近強く思う事があります。
決断は始めることではない。断つことを決める事だ、と。
自分の人生そのものを棚に上げているような言い方になっていますが、公私共に多くの決断をしてきている中でそう感じる瞬間がとても多いです。
「断てば良い」という事を主張したい訳ではありません。
今いる状況、状態がちゃんと自分の「意志の詰まった」決断になっているかどうか。
意志の詰まった決断をした時、人は自然と頑張ることが出来る。
なぜなら、自分で決めたことだからだ。
人生において偶然なんてない。
全て「自らが招いた」必然である。
そう強く想い自分と戦って生きていく。
敵は、己なり。
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